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横浜地方裁判所 昭和43年(ワ)60号 判決

原告

丸亀節子

原告

秋山久美子

原告

丸亀紘子

右訴訟代理人

根本孔衛

外四名

被告

名川運送株式会社

右代表者

名川六太郎

被告

名川六太郎

右訴訟代理人

島田正純

外一名

被告

日本道路公団

右代表者

前田光嘉

右指定代理人

寺島陽生

外三名

主文

被告日本道路公団は、原告丸亀節子に対して金六、一一一、一六九円、原告秋山久美子、同丸亀紘子に対して各金一、五二七、七九二円並に右各金員に対してそれぞれ昭和四一年一一月二六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は、原告らと被告名川運送株式会社、被告名川六太郎との間に生じた分は原告らの負担とし、原告らと被告日本道路公団との間に生じた分は被告日本道路公団の負担とする。

事実

第一  〔原告ら〕

原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自、原告丸亀節子(原告節子という)に対し金七、六一三、一七三円、原告秋山久美子(原告久美子という)、原告丸亀紘子(原告紘子という)に対して各金一、六七八、二九三円、並びに右各金員に対してそれぞれ昭和四一年一一月二六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、故丸亀智美(故智美という)は、昭和一〇年一一月二六日生れの男子であり、訴外安部酸素工業株式会社に勤務していた。原告節子はその妻であり、同久美子、同紘子は共にその妹である。

被告名川運送株式会社(被告会社という)は運送業を営み、被告名川六太郎(被告名川という)は、その代表者として被告会社の事業の執行にあたり、これを指揮監督するものである。

二、故智美は、昭和四一年一一月二五日午後七時二〇分頃神奈川県横浜市保土ケ谷区和田町二九六番地先をとおつている被告日本道路公団(被告公団という)が施設し管理する通称横浜新道(パイパスともいう)とよばれている道路上を神奈川方面から戸塚方面に向け、安部酸素工業株式会社所有の普通貨物自動車(原告車という)を運転して進行していた。

同時刻頃、被告会社に雇用されていた訴外松原が、その業務のため同社所有の大型貨物自動車日野四一年式横一きみ二、一六〇号(被告車という)を運転して戸塚方面から神奈川方面にむかつて時速六〇粁以上の速度で、前車に接近追従して運行中、前車に追突する危険をさけるため急制動をかけたところ、雨で路面がぬれていたため、被告車がすべり、ハンドル操作の自由を失つてジグザグ運転をして中央線をこえて対向車の車線内に入り、原告車と衝突したため、故智美を頭蓋骨骨折により即死せしめるに至つた。

三、本件交通事故地点は、通称保土ケ谷陸橋上であり、訴外松原の運転する被告車は、右地点に向つて坂を下つてくるかたちで惰力がかかつており、当日は雨で路面が濡れスリップする危険があつたのであるから、訴外松原は速度や前車との車間距離などに注意をはらい事故が起らないように安全運転する義務があつたのにかかわらず、漫然と運転しその上不用意にも急制動をかけた過失によつて本件交通事故を惹起したものである。

四、また、本件交通事故は訴外松原の不注意運転に直接起因するが被告公団の右道路施設ならびに管理上の欠陥と競合して発生したものである。

本件事故現場の本件道路は、保土ケ谷陸橋となつており、厚木街道と相模鉄道線路をまたいだ高所で、こう配は〇から一、〇〇〇分の九までの凹型になつている。そのため、横風の強い影響をうけ特に横すべりに対しては条件が悪く、一般道路に比べて、後に述べる「こう配曲線等線形のわるいところ」に該当し、当時は制限速度は中速車(大型車、普通貨物車)は時速六〇粁になつていた。

被告公団は、昭和四一年七月中旬右陸橋上をアスファルトで舗装しなおしたが、この時十分な滑り止めの処置をしなかつた。すなわち、我国の市原薫らの提案になるすべり摩擦係数の限界値が、時速六〇粁において湿潤時一般道路が0.40、「こう配曲線等線形のわるいところ」で0.45となつているのにもかかわらず、本件保土ケ谷陸橋上のすべり摩擦係数は0.40なし0.52となつており、「こう配曲線等線形のわるいところ」の限界値に達しないところが多かつたのでスリップ事故が頻発し犠牲が続出した。

神奈川県警察本部の調査によると、保土ケ谷陸橋で昭和四一年八月中旬から三ケ月半の間に二二件の交通事故が発生し、八人が死亡し三八人が重傷を負つている。

そこで同県警察本部は被告公団に対して、同年九月六日と同年一〇月二九日の二回にわたり路面に滑り止めをなし中央分離帯の設置を要望したが、被告公団はこの要望を看過した。その後同年一一月一三日乗用車が陸橋の欄干に衝突して一人が死亡している。

右に述べた交通事故の中には運転者の不注意を直接の原因としているものが多いけれども、右地点に限つて特に事故が多いことは、路面のすべり摩擦係数がその限界値を下まわり滑り易い形態となつていることにある。

被告公団としては、通常の運転者に生じる不注意の確率を計算に入れた上、道路交通上の安全率にもとづいた道路の設計、工事、管理をすべき義務があるにもかかわらず、この措置が全く不十分で、すなわち、訴外松原が制動をかけた場所の摩擦係数が、時速六〇粁の湿潤時、0.43で限界値0.45を下まわつていたため、訴外松原の過失にあわせて故智美を死亡させたものである。

被告公団も、その後同年一二月頃本件交通事故現場付近の補修工事を行つた結果、事故は激減し、三ケ月間に三件の軽微な事故が発生したに止つた。このことは本件交通事故発生当時道路の構造、管理に欠陥があつたことを証明するもので、この補修が早く行われていたならば本件交通事故も発生しなかつたことを推測せしめるものである。

五、原告らの被つた損害

1  故智美は、訴外安部酸素工業株式会社に勤務中、一ケ月平均金六七、九四六円の収入を得ていた。

故智美と原告節子は、本件交通事故当時東京都品川区北品川一丁目一二六番地に居住し生計を営んでいた。

昭和三九年全国消費実態調査報告によれば、二人世帯月平均金六〇、〇〇〇円から金六九、九九九円の収入のあるものの消費支出は金四九、二〇〇円であり、これを世帯員数で割れば故智美の消費支出分は一ケ月金二四、六〇〇円になる。

故智美は、本件交通事故当時三一才の男子であつたから、第一〇回生命表によれば平均余命は38.8年であり、満六〇才まで稼働すれば、あと二九年間収入がある。

故智美の前記平均収入から生活費を控除した額は金四三、三四六円であるから年間の収入は金五二〇、一五二円となる。この収入を年度末に生ずるものとして法定利率による単利年金現価総額表によつて計算すると、故智美の得べかりし利益の現価は金九、一六九、七五九円となる。

金520,152円×17.629=金9,169,759円

2  慰藉料として故智美の請求すべき金額は金一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。

3  故智美の相続人は、妻である原告節子、妹の原告久美子、原告紘子であるから、その相続分は原告節子がその三分の二、原告久美子及び原告紘子が各六分の一となり、原告らはそれぞれの割合で故智美の損害賠償請求権を相続した。

4  原告節子は、昭和一〇年二月六日生れであるが、同三九年一二月七日故智美と結婚した。そして、結婚して二年も経たぬうちに本件交通事故によつて夫を失つたものであり、この苦痛は何ものを以てしてもいやしがたい。この精神的苦痛、ならびに、将来の生活に対する不安を考慮すれば、その慰藉料は金一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。

5  原告久美子、同紘子は、故智美の妹であり、本件交通事故によつてその同胞を失つた精神的苦痛は甚大であるので、その慰藉料は各金一五〇、〇〇〇円が相当である。

6  原告らは自賠保険より金一、五〇〇、〇〇〇円の支払を受けたので前記相続分に従いこれを損害金に充当した。

六、よつて、被告会社は自賠法第三条、被告名川は民法第七一五条、被告公団は同法第七一七条もしくは同法第七〇九条によつて各自、原告節子に対し金七、六一三、一七三円、同久美子、同紘子に対し各金一、六七八、二九三円および右金額に対する本件不法行為のあつた日の翌日である昭和四一年一一月二六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだものである。

なお、原告らの主張に反する被告らの主張抗弁はすべて争う。被告公団の時効の抗弁について、本件交通事故についての刑事裁判は、第一審の横浜地方裁判所においては、昭和四四年一〇月一四日訴外松原の業務上過失が認定され有罪の宣告がなされたが、同訴外人はこれを不服として控訴し、東京高等裁判所は昭和四五年一二月二日訴外松原の過失責任を否定し原審を破棄して無罪の言渡をした。その後間もなく被告会社から本件審理においてその旨主張、立証がなされたので、原告らも右の事実を確認した。

右裁判の認定にしたがえば、被告公団の本件道路の管理の欠陥が、本件交通事故の原因となつているので、被告公団を相手として昭和四六年(ワ)第八五九号事件を提起したものである。以上の経過からすると、原告らが右東京高等裁判所の刑事判決を知つたときが、民法第七二四条にいう「加害者ヲ知リタル時」にあたり、本訴提起はその三年以内であること明白であるから、消滅時効にかからないことはいうまでもない旨付陳した。

立証〈省略〉

第二  〔被告会社、被告名川〕

被告会社、被告名川は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、原告らの主張する請求原因に対する認否として、被告会社が運送業を営み、被告名川がその代表取締役であること、訴外松原が被告会社に雇傭され、被告会社所有の被告車を運転していたことは認めるが、その余はすべて争うと述べた。なお抗弁として、

一、被告名川は代理監督者ではない。被告会社においては、夙に運送業務に関して車両管理者を置き専ら車両の整備に当らせ、又、運行管理者を置き専ら車両の運行管理に当らせている。車両管理者として訴外名川忠信が、運行管理者として訴外川名勇がその任に当つている。従つて、被告名川は車両の整備運行に関してはこれが指揮監督することなく、専ら得意先関係その他営業の全般についてその衝に当つているものである。

二、事故発生の状況について

被告車は、空車で本件横浜新道を川崎方面へ向け、時速五五粁と六〇粁の中間速度で進行し、後続車なく本件陸橋に差しかかつたが、同一方向前方に「マツダ小型トラック」が進行し、その前方に「パプリカのライトバン」車が進行中であることを認めた。「マツダ小型トラック」は、その前方の「パブリカ車」を追越し、被告車は右陸橋上において速度の遅い「パブリカ車」に約二五米まで接近したので、安全を期するため制動措置をとつたところ、被告車はスリップしてセンターラインを越えて右側に転じたので減速して左にハンドルをきり、正常方向に進行するため、更に右ハンドルをきつたが、スリップしてその効がなく、左側「らんかん」に激突する危険が生じた。訴外松原は止むなくこれが危険を避けるため急に制動措置をとつたが、被告車の前部が僅かに右側センターラインを超えて真横に停止するに至る寸前、原告車がその前部を、被告車の左側前輪付近に激突させ、被告車を右側に半回転させて停止させたものであつて、訴外松原としては緊急避難として止むを得えない措置をとつたもので、被告車運転上の過失はない。本件交通事故の発生原因は路面構造上の重大なる欠陥と故智美の原告車運転上の過失によつて惹起されたものである。

三、本件道路の路面構造上の重大な欠陥

本件交通事故の発生した当時の本件道路は、四車線道路で、往復車両は極めて多く、上り線は緩やかな下り勾配で見透しよく、下り線は常盤台のトンネルを出て四車線道路となり、本件陸橋の中間、厚木街道と相鉄線上の約三〇〇米の区間が凹型になつているので、上り線と同様下り勾配となつて、見透しは極めてよい。そして、下り線は、右トンネルを出ると、制限速度は時速五〇粁から八〇粁(普通乗用自動車、トラックは時速六〇粁)と増速されている。本件道路は、昭和四一年七月中旬右橋上をアスファルトで舗装しなおしたが、なんらスベリ止めの処置をしなかつたため、降雨によつて路面上は鏡のようになり、多くの通行自動車がスリップし、雨の日には甚しく痛ましい事故が続出するに至つた。

被告公団は、本件事故現場付近道路を設計施行しこれを管理しているものであるから、車両の進行に障害がないように設計施行し、常に道路を正常な状態に維持する義務がある。ところが被告公団は路面が異常に滑り易い状態にあつた儘これを放置し、中央分離帯も設置していないのであるから、これに過失があること明白である。

四、故智美の原告車運転上の過失

故智美は、原告車を空車で運転して、訴外安部酸素工業株式会社から日野自動車藤沢サービスセンターに立寄り、逗子市桜山四の七の一一号の自宅に帰る途中であつた。本件道路は緩やかな下り勾配で、照明十分にして前方の見透しは極めて良好である。したがつて、訴外智美が前方を十分注意していたならば、被告車のヂグザグ進行を容易に観取することができたにかかわらず、その前方注意義務を怠つて、時速一〇〇粁程度で進行したため、被告車を認めたがこれを回避することができず激突するに至つたものである。従つて、本件交通事故は故智美の過失によつて生じたものと言わなければならない。

立証〈省略〉

第三  〔被告公団〕

被告公団は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決、ならびに、仮執行の宣言をされる場合には担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、原告らの主張する請求原因に対する認否として、被告公団が通称横浜新道(バイパス)を設置管理していること、原告ら主張の日時、場所において、訴外松原の過失のため、原告ら主張のような交通事故が発生し、亡智美が死亡したこと、当日雨天で路面が湿潤であつたこと、昭和四一年七月中旬被告公団が本件陸橋上の橋面補修工事をしたこと、神奈川県警察本部から路面の滑り止めと中央分離帯を設置してほしいとの要望があつたこと、被告公団が同年一二月に本件陸橋の舗装工事を行つたことは認めるが、その余はすべて争う旨陳述した。

抗弁として、仮に、被告公団になんらかの責任があるとしても、原告らの被告公団に対する損害賠償請求権はすでに時効によつて消滅している。原告らは昭和四一年一一月二五日の本件事故の直後に「損害」及び「加害者」を知つたものと解されるところ、本件訴訟が提起されたのはそれから三年以上を経過した昭和四六年六月一五日である、と述べた。

更に次のとおり主張した。

米国において提案ないし推奨されている路面のすべり摩擦係数の限界値は、湿潤時において自動車の平均走行速度が時速三〇マイル(時速約四八粁)の道路では0.36、同四〇マイル(時速約六四粁)の道路では0.33、同五〇マイル(時速約八〇粁)の道路では0.32となつているのに対し、本件交通事故当時の保土ケ谷陸橋上の路面のすべり摩擦係数は、湿潤時において、自動車の走行速度が時速四〇粁では0.62ないし0.50、同六〇粁では0.52ないし0.40、同七〇粁では0.48ないし0.36、同八〇粁では0.45ないし0.33となつていて、右各速度における最小値をとつても、その速度に対する前記米国における限界値を上回つており、本件保土ケ谷陸橋上の舗装は何ら問題のなかつたものであつたことは容易に推認できる。なお、米国における右限界値は自動車の平均走行速度について論じられているのであるから、これ以上の速度で走つても一定限度の範囲内であれば安全であるという趣旨のものである。

立証〈省略〉

理由

一まず、被告公団の主張する時効の抗弁について判断する。

〈証拠〉によると、本件交通事故については、第一審である当裁判所刑事部の訴外松原に対する業務上過失致死被告事件の判決(昭和四四年一〇月一四日宣告)が、訴外松原の過失を認定して有罪と判断したが、控訴審の東京高等裁判所は、本件交通事故の原因が事故現場の路面が滑り易いことにあつたとして、訴外松原の過失を否定し、原判決を破棄し無罪の判決(昭和四五年一二月二日宣告)をなしたことが認められる。

原告らが、昭和四三年一月二三日被告会社、被告名川を相手に本件訴訟(昭和四三年(ワ)第六〇号)を提起していたところ、右高等裁判所の判決があつたため、被告公団を相手として昭和四六年六月一五日本件新訴(昭和四六年(ワ)第八五九号)を提起し、これが併合して審理が行われたことは、当裁判所に顕著な事実である。

右の各事実関係からすると、民法第七二四条にいう「加害者を知りたる時」とは、原告らが右高等裁判所の判決の内容を知つた時と解すべきである。すると、本件新訴の提起はこの時から三年以内であること明白であるから、この点に関する抗弁は採用することができない。

二〈証拠〉によると、訴外松原は、昭和四一年一一月二五日午後七時二五分頃、神奈川県横浜市保土ケ谷区和田町二九六番地先の通称横浜新道(バイパス)を、当時降雨のため路面が濡れていたのであるが、被告車を空車で運転して、戸塚方面から神奈川方面に向つて時速五五ないし六〇粁で進行し、先行の普通乗用自動車に次第に接近していたところ、保土ケ谷陸橋上に至るや、右先行車との車間距離が約二〇米となつたので、訴外松原は車間距離をこれ以上短くしては危険と考え、被告車の速度を先行車の速度に合わせるため、軽くエアブレーキを踏んだところ、被告車左後輪が滑走をはじめて運転の自由を失い、被告車は蛇行し、前部が中央線をこえて真横になつて停止する寸前、折から対向して来た原告車と衝突し、これを運転していた故智美が、同所において脳挫創により間もなく死亡したことが認められ、〈証拠判断略〉

右の認定事実からすると、訴外松原の被告車運転には何等の過失も認めることはできない。思うに、訴外松原は、当時降雨のため路面が濡れて滑走し易い状態にあり、被告車が空車でこれ又滑走し易く、かつ、そのブレーキがエアー・ブレーキで効率が高いところから、急にブレーキがかかりすぎ滑走することがないように、軽くブレーキを踏んだというのであるから、思慮深く安全運転の注意義務を遵守したものというべきである。又、故智美の原告車運転についても、その過失を立証するに足る何等の証拠もないので、これに過失があつたものと認定することはできない。

三次に、保土ケ谷陸橋上の路面のすべり摩擦係数の適正な限界値について審究することとする。

1  〈証拠〉によると、路面のすべり摩擦係数は諸種の要因によつて複雑に左右され、なかなか定量的に把握しにくいものであるが、自動車の安全走行を確保するために、その係数を一定の値以上に保つ必要がある。そして、道面のすべり摩擦係数の限界値決定の要因の一つは、道路の幾何構造との関係であり、他の一つは事故との関係である。しかしながら、これらはいずれも相対的な関係にあるので、一定の値を決定することは困難である。

これらを綜合して考えると、路面のすべり摩擦係数の限界値は時速六〇粁、湿潤状態で「特殊な制動の多い場所」では0.45以上、「一般道路」で0.4以上が望ましく、いかなる条件のもとでも0.3よりは小さくならないように注意しなければならないとされていることが認められる。

2  そこで、道路のすべり摩擦係数の限界値決定の要因の一つである幾何構造について、本件保土ケ谷陸橋上の路面を検討する。

〈証拠〉によると、本件交通事故発生地点付近の道路の状況は、直線に通ずる全巾員13.80米の四車線道路で、路面はアスファルトで舗装され、被告車の該当する大型車、普通貨物自動車などの時速制限は六〇粁となつていたこと。又この付近の道路縦断面は、ゆるやかな凹となつていてその底の部分に本件保土ケ谷陸橋が架橋されている。道路の勾配は、戸塚方面から神奈川方面に向つて、二〇〇米以上マイナス3.0パーセント(水平距離一〇〇米に対して3.0米の下り勾配の意味である、以下同様。)の勾配が続き、それから二〇米間隔の測点で、同2.62パーセント、同2.25パーセント、同1.88パーセント、同1.50パーセント、同1.13パーセント(戸塚側の陸橋起点では同0.90パーセント)、同0.75パーセント、同0.38パーセント、底の部分0.0パーセント、同0.0パーセント、0.14パーセント(水平距離一〇〇米に対して0.14米の上り勾配の意味である、以下同様。)0.25パーセント、0.5パーセント、0.75パーセント、1.0パーセント、1.25パーセント、1.50パーセント、1.75パーセント、2.0パーセント、2.25パーセント、2.50パーセント、2.75パーセント、3.0パーセントとなつている。この勾配のため、同所を運行する自動車運転者は惰力、加速度などにより速力の出すぎた自車の速力を落すため、ブレーキを踏むことが多い。なお、本件保土ケ谷陸橋は、厚木街道と相模鉄道路線をまたいだ高所に架橋されているところから、横風の強い影響をうけ、横すべりの危険もあるということが認められる。

右認定によると、保土ケ谷陸橋上の道路の幾何構造は、「一般道路」というよりは、「特殊な制動の多い場所」と解するのが相当である。

3  進んで、事故との関係をみるに、〈証拠〉によると次の事実を認めることができる。

(一)  昭和四一年八月から同年一一月末までの間の、本件保土ケ谷陸橋上での主な交通事故の発生件数は合計一四件(本件交通事故も含む)で、その内訳は、同年八月中に五件、同年九月中に五件、同年一〇月中に二件、同年一一月中に二件となつている。しかしながら、このほかにも不申告事故が相当数あつた見込みなので、全事故件数は相当の数に達していた。

右交通事故の原因は、警察の交通事故原票にスリップ事故と記載されているもののほかに、記載がなくとも、雨天の場合の交通事故には多かれ少かれスリップが事故の一因となつていることが伺われるので、雨天時のスリップを原因とするものが最も多く発生したものと考えられる。

(二)  右交通事故頻発のため、神奈川県警察本部は被告公団に対して、路面のすべり止め舗装とチャッター・バーでない中央分離帯の設置を早急に実施するよう要請した。

被告公団は、本件交通事故が発生したのちの昭和四一年一二月頃従来の特殊アスファルトによるデックシール舗装(表面がサンドペーパー状のもの)を逆滲透式舗装(直径五ないし一〇粍の砕石を主な原料としたもので表面が非常に荒い、シリカサンド舗装とも言う)としたので、保土ケ谷陸橋上の路面の摩擦係数は、湿潤時に時速六〇粁で0.52から0.40(測点一七箇所の最大ないし最小値)であつたものが0.62(測点二箇所等値)と上昇し、その後交通事故は非常に減少し、昭和四二年一月に一件、同年二月に一件発生したにすぎない。

4  以上2、3で認定した諸要因に弁論の全趣旨を綜合すると、本件保土ケ谷陸橋の路面のすべり摩擦係数は、時速六〇粁湿潤状態で0.45以上を保つ必要があつたものと解するのが相当である。しかして、すべりによる交通事故を防止するためには、路面のすべての場所において安全が確保されることが必要であるので、測点における最小測定値においても安全な摩擦係数を示す必要がある。したがつて、本件保土ケ谷陸橋上の路面は、すべての場所において右0.45以上の摩擦係数を保つ必要がある。

四そうすると、前記認定のとおり、被告公団が路面の摩擦係数が0.52から0.40で、右0.45の限界値に到達していないまま放置していたため、時速五五ないし六〇粁で進行中の被告車を滑走させ、本件交通事故を惹起したというのであるから、これに路面管理上の過失、路面保存に瑕疵があること明白である。よつて、被告公団は原告らに対して損害賠償の責に任じなければならない。

一方、訴外松原には被告車運転上に何等の過失もなかつたこと前記のとおりであるから、被告名川はその主張する抗弁事由を判断する迄もなく民法第七一五条第二項の代理監督責任を負う理由はない。また、本件交通事故の態様からして、被告車に構造上の欠陥、機能の障害がなかつたことも推認されるので、被告会社は自賠法第三条但書によつて免責されるものといわなければならない。

五損害

1  故智美の得べかりし利益

〈証拠〉によると、故智美の一ケ月の収入は平均金六七、九四六円であつたことが認められる。

しかして、故智美の一ケ月の生活費は、その二分の一と考えるのが相当であるから、これを控除すると、一ケ月の純益は平均金三三、九七三円、よつて、一年間の純益は平均金四〇七、六七六円となる。

〈証拠〉によると、故智美は本件交通事故当時三一才であつたことが認められる。すると、その就労可能年数は三二年、ホフマン式計算による係数は18.806であるから、右の一年間の平均純益金四〇七、六七六円に係数18.806を乗じ、故智美の得べかりし利益の現価を算出すると、金七、六六六、七五四円(円以下切捨)となる。

金407,676円×18.806=金7,666,754円

(円以下切捨)

2  原告らは、故智美の慰藉料として金一、五〇〇、〇〇〇円を請求するが、これは一身専属的権利で、原告らの相続の対象とならないから、これをここに計上することはできない。

3  相続

〈証拠〉とによると、故智美の相続人は妻の原告節子、妹の原告久美子、同紘子であつて、それぞれ法定相続分に従つて、故智美の得べかりし利益を相続したことが認められる。

よつて、原告らが相続した金額は、原告節子が相続分三分の二に相当する金五、一一一、一六九円(円以下切捨)、原告久美子、同紘子がそれぞれ相続分六分の一に相当する金一、二七七、七九二円(円以下切捨)となる。

4  慰藉料

本件事故の態様、原告らの家族構成、年令その他諸般の事情を斟酌すると、慰藉料の額は、原告節子が金二、〇〇〇、〇〇〇円、原告久美子、同紘子が各金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

5  保険金の支払

原告らは、自賠責保険より金一、五〇〇、〇〇〇円の支払を受けたので、前記相続分に従つて、原告節子に金一、〇〇〇、〇〇〇円、原告久美子、同紘子に各金二五〇、〇〇〇〇円と、それぞれその損害金に充当する。

6  そうすると、原告らの損害賠償請求額は、原告節子が金六、一一一、一六九円、原告久美子、同紘子が各金一、五二七、七九二円となる。

六以上によると、原告らの被告会社、同被告名川に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却する。又、原告らの被告公団に対する請求は、原告節子に金六、一一一、一六九円、原告久美子、同紘子に各金一、五二七、七九二円並に右各金員に対して本件不法行為のあつた日の翌日である昭和四一年一一月二六日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却する。訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条但書、第九三条を適用し、仮執行の宣言は付さないこととして主文のとおり判決する。 (石藤太郎)

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